突然、周りから押し寄せるようにして耳にいろんな音が入ってきた。

たくさんの人の声、足音…

は恐る恐る目をあけると、目の前の光景に唖然とした。
そこはもう、叔父さんの部屋でも、の知りうる限りのどの場所でもない。
明るい広い廊下のようなところのど真ん中、周りには見慣れない服装をした人々があれこれしゃべりながらせわしなく歩き回っていた。


ここは…
これは……ゆめ…?


呆然と立ちつくしているところに、後ろからどんと何かがぶつかってはよろめいた。
振り向くと、不機嫌な顔をした女の人が邪魔よ!とでも言いたげにため息をつき、つんつんと足早に去って行く。
緑色のローブをはためかせる彼女の後ろ姿をぼんやり見ながら、はまだ不思議な感覚に襲われたまま睫毛に涙がぐっしょりした目で辺りを見つめていた。





名前を呼ばれてははっとする。
声のしたほうを探すと、そこには叔父さんを抱えたルーピンさんが数歩先に立って振り返っていた。

がためらいながらも駆け寄るのを確認してから、ルーピンさんはまた急ぎ足で歩きだす。
カウンターのようなところへ来ると、切羽詰まったように早口でしゃべり出した。
「急いで診てもらえないか」

カウンターには若い女の人が2人いた。ふたりともルーピンさんの顔を見たあと、叔父さんの方を机から身を乗り出して覗いた。「どうしました?」

「…わからない、急に倒れたんだ」
「呪文じゃないんですね?魔法薬を飲んだり危険な生物や植物と接触しましたか?」


は耳を疑った。
呪文……魔法、薬……?

は驚いてじっとそのカウンターの若い女の人を見ていた。彼女たちはの困惑した視線には気付かないまま、ルーピンさんと叔父さんに目を向けている。


「いや、彼はマグルなんだ」


ルーピンさんがそういうと、カウンターの彼女たちは突然合点がいったように頷いた。
「ああ、わかりました。えーっと今すぐベッドを…――あ、あなた!ここのおじさまを4階に!」

カウンターの女の人が机から腕を伸ばし手を振って叫ぶ。ルーピンさんもも振り返ると、呼び止められた女の人がはいはいといいながら小走りでやってきた。手には空の寝台を押している。

ルーピンさんは女の人にちょっと会釈をすると、そこにまだぐったりした叔父さんを寝かせた。
きちんと乗ったのを確認するなりカートが勢いよく押される。とルーピンさんも急いでその後を追った。
寝台はそのままエレベーターのようなものに入っていった。
ふたりも一緒に駆け込むと扉がごとりと閉じた。


ゆっくりと上昇しながら、隣のルーピンさんは押し黙ったまま、叔父さんのしわだらけの手に触れていた。
は彼の横顔を見たが、その顔色は伺えない。

『病院に行きましょう』

一瞬前に聞いた彼の言葉が脳裏によみがえる。

そう…病院。見たところ、ここは病院には違いない…
この、今見ている光景、立っている場所が夢じゃないなら……


視界が真っ白になったときのように体が妙に痺れる。同時にエレベーターの扉がごとりと開いた。
また素早く動き出した寝台を追って、ふたりもそそくさとそこを後にした。

寝台を押した看護婦さんは道行く人に通りを開けるようしきりに声をかけながら走る。
少し行くと叔父さんを乗せた寝台はくるりと向きを変えて、たくさん並んだ部屋のひとつに入って行った。
ふたりも続いて中へ入る。すぐにまた緑色のローブの人が動かない叔父さんを取り囲んで、額を触ったり
しながらなにやら早口に言葉を交わし始めた。


彼らのローブの間から見えた叔父さんの顔は相変わらず良くなかった。
動く気配も、呼吸をしているのかさえわからない。
またわっと涙が目からあふれそうになる。


「私たちがついてますよ。お嬢さん方は、そこへ腰掛けて待っていてください。」


慌ただしい中でたちに気が付いた看護婦のおばさんが近づいてきた。彼女はそっとの肩に触れ申し訳なさそうに眉尻を下げてドアノブをにぎる。
は叔父さんの様子が心配でためらった。が、そうしているとまた肩に彼女の手が乗せられた。
今度は心なしか力強い。


「大丈夫。きっと、大丈夫よ」



* * *




目の前で扉が閉まり、とたんにあの喧騒が嘘のように消えた。しんと静まる廊下に、ふたりは佇む。

「座ろう」

ここへ来てから言葉を交わしていないルーピンさんは静かにそう言って、病室から離れて長椅子の方へ歩き出した。
はルーピンさんを振り返る。しばらく動けずにいたが、ゆっくりと足を進めた。
彼のすぐうしろを歩きながら、どこか宙を見つめる。

の頭の中には、叔父さんの部屋での、あの最後の一瞬がまだ離れずにいた。


あたしはまだ、夢を見てるの
それとも…あなたがここに連れてきたの?

ここはいったい、何…


「……ルーピン…さん」


あなたは、何者なの…


心の中で呟いた言葉を声に出すより先に、は目の前を歩く彼をひきとめたい一心で手を伸ばしていた。

それがルーピンさんの腕だったことなど思う間もなく。
は、それに顔を押しつけてしがみついた。


驚いたルーピンさんは気づくなり立ち止まった。
落ちてくる視線を感じつつ、きゅっと瞼を閉じると涙がぽろ、ぽろと溢れる。
なにがなんだか…わからない


ルーピンさんはそっとを離した。が涙目で見上げる。

「…怖い思いをさせてしまった…」


ごめん、と謝る彼の切なそうな眼差しは、なおも優しくて。

彼は一度、深い瞬きをするとゆっくり人気の少ない廊下を見渡した。もつられて同じようにする。
まだ、叔父さんのいるドアが開く様子はない。




「…ここは、聖マンゴ病院」
ルーピンさんも、と同じ方を見ながら静かに口を開いた。
「…正確な名前は、聖マンゴ、魔法疾患傷害病院」


は即座にルーピンさんを見た。彼は見上げてきたに目を落とすと、ためらいがちに微笑む。
「ここでは…、癒者が患者の病気や怪我を、魔法を使って治療するんだ」
はじっと、淡々と語る彼の目を見つめた。

、君が気づいてる通り…ここは君の生きてきた世界とはちょっと違う」

少し間があったあと、ルーピンさんは静かにあとを続けた。


「僕は、魔法使いなんだ」



 


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