魔法使い

同じ言葉がの頭の中で反復する。
――魔法使い?ルーピンさんは……魔法使い…?


大きく瞬きをして、目の前に立っている人を見上げた。
ふとした時に感じていた、不思議な感覚…
それがいま、なにかがすとんとはまったように説明がついた気がした。

ルーピンさんは…魔法使いなんだ、



「…すまなかった、」

もう一度謝ったルーピンさんは、もう微笑んではいない。
彼の瞳を見つめたら、わっと愛しさがこみ上げてきた。

は彼の胸にしがみついていた。ルーピンさんはびっくりして目をぱちくりさせてる。

「…あやまらないで、」

聞こえるか聞こえないかというくらいに呟き、は腕に力をこめた。
溢れる気持ちを抑えるかのように、ぎゅっと顔を押しつけて瞼を閉じる。
とにかく、とにかく、は目の前にいる彼が愛しくてたまらなかった。

…」
ルーピンさんは唖然として、目を落とせばすぐそこにいる彼女を困ったように見つめていた。

が体を離すと、こぼれた涙を細い指でぬぐった。
そして困惑した様子のルーピンさんを見上げると、まだ涙がこぼれそうなのをこらえながら、精一杯、感謝の気持ちを込めて彼の手をにぎった。



「…魔法使いのルーピンさん、私たちを助けてくれて…ほんとうにありがとう」
鳶色の睫毛がかすかに揺れた。

「…それと…ルーピンさん、」

そして、はここへ来てから、一度も見せなかった笑顔を浮かべた。

「…あなたがもっともっと…特別な人になりました」



* * *




気がついたら、リーマスはを腕の中におさめていた。
目を閉じ、頭のなかで何度も何度もくりかえされるの言葉にふたたび胸がいっぱいになる。


それからどのくらいの時間がたったのだろうか。
病室の扉が開く音が聞こえ、リーマスはを抱きしめていた腕をそっとゆるめた。
逃げていく熱を惜しむかのように、ゆっくり顔をあげたが病室の方を振り返る。
少し開いた扉から、さっきの看護婦さんがにっこり微笑んで立っていた。

とリーマスは顔を見合わせる。

「どうぞ、入って」
また優しく微笑んだ彼女に導かれるように、ふたりはまだ不安な気持ちが残ったまま近づいていった。
彼女は大きく扉を開くと、まだ心配そうに見上げるの背中をぽんと叩く。
「だから言ったでしょ。大丈夫よ」


急かされるようにして病室に足を踏み入れると、叔父さんはすぐ目の前のベッドに横になっていた。

顔色は見違えるようだった。目は開いていないが、眠っているみたいだ。
ははっと息を飲むと、近づいていって血色の戻った顔に恐る恐る手を触れた。暖かい。

「もう落ち着きましたよ。あとはしばらくしたら目を覚ますでしょう」
看護婦さんはふたりのためにベッド脇に椅子を置き、散乱したゴブレットなどを片付けはじめた。
リーマスは気持ちよさそうに寝息を立てる叔父さんを見て胸が熱くなった。

椅子にゆっくり腰掛けたが、また潤みはじめた目で叔父さんを見つめる。
握った叔父さんの手を頬に当てながら、はかすれる声で小さく「よかっ…た」と呟いていた。



* * *




叔父さんは長いこと寝息を立てたままだった。
元気を取り戻したふたりはそれまで病室で和やかに過ごしていた。
は部屋の中を歩き回り、魔法界の道具を不思議そうに眺めてはリーマスにあれこれ聞いたりしていた。
リーマスが杖を取り出して魔法で手近な物を浮かせて見せたときには、本当に子供のように目をきらきらさせて眺めていた。 見回りに来た看護婦さんにはすごい形相で睨まれてしまったけど。

そのうちに、疲れてしまったふたりはいっこうに目を開けない叔父さんを見守りながら眠ってしまった。

すっかり消灯してしまった室内に、窓からの明かりがほんのりと3人を包んでいた。



* * *




目を覚ませば明るかった。
日の光が差し込んでまぶしい。もう、朝なのか…
リーマスの隣で寝ていたも、つないでいた手をきゅっと握るとゆっくり目を開いた。
眠い目をこすった彼女も、すっかり朝になっていたことに驚いているようだった。


「やっと起きたかね」


どこからか聞こえた声に、ふたりははっとした。
見れば、叔父さんがベッドがら体を起こして微笑んでいる。


「…あ…、叔父さん…!」
はすぐさま飛び起きて彼に抱きついた。

叔父さんは胸にうずくまるの頭を優しくなでる。
彼にはいつものきらきらした笑顔が戻っていた。

「本当に…心配だった、」
体を離したの目を見て、叔父さんはちょっと哀しげに目を落とす。
「…心配かけてすまなかった」
はリーマスの方を振り返ると、ふたりでそっと目を合わせて微笑んだ。

「目を開けたら…ふたりとも私に頭をあずけて寝ていたよ。なんとも仲良く眠っていたんで、起こせなくてね」
叔父さんはそう言って楽しげに笑うと、ふたりが照れくさそうに俯くのにも構わず、一度部屋をぐるりと
見渡しながら天井に向かって、また微笑んだ。


「ここは聖マンゴかね」


驚いたふたりが同時に彼を見た。
「…叔父さん、知ってるの…?」

目を丸くするに、彼はゆっくり視線を落とす。そして内緒話をするかのように身をのりだすと、ちょっとだけ声をおとして囁いた。
「一度だけ、ここに来たことがある」
「…へっ…?」

驚くを後目に、叔父さんは自分のふところに手を入れて何かを取り出した。見覚えのある、細長い箱。

「…あ」
見るなりは声をあげた。叔父さんは彼女をちらとみて、無言のまま微笑んだ。

慎重に開けると、中には細長い木の棒がおさまっている。
叔父さんがそっとそれを取り出すと、は息をのんだ。
「それ、…ルーピンさんのと、同じ…」
リーマスもよく見ようと目を凝らした。たしかに、杖みたいだ…
「叔父さん…もしかして、魔法使いなの?」


身を乗り出して聞くを見て、叔父さんはちょっと間があったのちに声を出して笑った。
「いいや…、私はあいにく魔法は使えない。これは、私の妻のだった」
「…叔母さんの…?」

叔父さんは箱からそれを取り出すと、そっとの両手に乗せた。
ほんのりしびれるような感覚。
がわっ、と小さく声を上げると、叔父さんは嬉しそうに目を細めて笑った。


「ちょうどが生まれる数年前、ここ、聖マンゴで亡くなった。
あのときは世界の終わりだと思ったよ…ずっとそばで涙を流した、それはそれは綺麗な魔女だったからね」


悲しい思い出のはずなのに、叔父さんはただただ懐かしそうに語っている。
叔父さんの目を通して、きっと幸せいっぱいだったふたりの記憶が叔父さんの中でずっときらきらしたまま
残っているのを、リーマスは見た気がした。


「ルーピンさん…」


ふいに叔父さんに名前を呼ばれて、リーマスははいと返事をした。
叔父さんはリーマスの前にゆっくりと手を伸ばし、彼がためらいがちにそれを握ると、もう片方の手で
それを包んだ。

「君がここへ連れてきてくれたんだね。ほんとうに、ありがとう」
「あ…いえ、」
「君のような魔法使いに会えて…私は嬉しいよ。君に出会えて、私は光栄だ」


そう言って、握っていた手にぎゅっと手に力を込める。自分にやさしく微笑む叔父さんを見て、リーマス
の中に温かいものがこみ上げてきた。
何も言うことができずに、かわりに叔父さんの背中に腕をまわす。
叔父さんも、それに応えるようにリーマスの背中をぽんぽんとなでた。

聖マンゴの一角の病室に、ほんのり暖かい空気が漂っていた。



* * *




数日後のクリスマスイブ。その病室に3人の姿はなかった。

叔父さんは無事に退院し、本屋の奥のダイニングには久しぶりに明かりが灯った。
テーブルの中央に置かれた柊を囲って、3人は外で聞こえるキャロルを聴きながら温かいクリスマスディナーをとる。
暖炉の火がまどろみ、煙突からあくびが出はじめるまで楽しい話題はつきなかった。


見送りに玄関外へ出たリーマスとは、ワインでちょっと赤くなったお互いの顔を見てふわりと笑った。


寒い風を感じてが手をさする。
突然リーマスが彼女の頬に手を伸ばし、そっと触れた。
そしてそのまま顔を近づけると、愛しい彼女におやすみのキスをした。


玄関先にかけられたヤドリギが、星が瞬く空のもとで一つになる恋人たちを、やさしく見守っていた。



End

(2010.3.6)





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